お疲れ主婦のひとりごと@アメリカ

アメリカにいる普通の主婦です。

義母が亡くなった

先日夫の母(義母)が79歳で亡くなった。

 

私達は後日知る事になったが、看取りから死後の手続きを全てやったのは夫の兄夫婦だった。義母の終の棲家はホスピスだった。

 

夫の父は10年程前に他界しており、これで夫は両親共に失ってしまった。私の日本にいる両親は幸いにも健在でいてくれて、少なくとも子供達には母方の祖父母はいることになる。

 

義母の死にあたり、色々考えさせられることがあった。ツイッターでは書ききれないのと、義母の死を告知する必要もないので、こちらでまとめることにする。

 

義母はパーキンソン病を患っていた。夫と知り合い、夫の両親に初めて会った時は、既に発症していたが、初期だったので義母はまだ歩行器を使い、家の中を一人で歩いて移動することもできたし、耳は遠くなってはいたがそこそこ普通に会話もできた。義父が主に介護をしていたが、義父も老いて来ていたので、老老介護だった。

 

その後義父が他界すると、パーキンソン病が進行していた義母が一人で暮らすのは無理だろうと、義兄の自宅の近くにあるグループホームに引っ越した。ここは閑静な住宅街の一軒家に介護が必要な老人5-6人と、ナースや介護士が交代で常駐する24時間ケアの小規模老人ホームだ。

 

グループホームに入居時は既に歩行はできなくなっており、車椅子生活になった。それに加え認知症も始まったようで、訪れた夫の話を何度も聞き返したり、うわの空で遠くを見ていたりした。訪問する時は時間帯を連絡しておくと、それに合わせて義母をリビングルームかパティオに連れ出して待たせておいてくれた。スタッフはフィリピン人が多く、とても明るくフレンドリーだった。

 

元々物静かで社交的でない義母の趣味は手芸やジグソーパズル。パーキンソン病が進行し手芸はできなくなったが、パズルは不自由な手を使ってゆっくりコツコツと仕上げていた。

 

ところがここ数年でパーキンソン病認知症も悪化し、私達家族が会いに行っても会話がもうできないのと、自分の息子(夫)が誰かもわからなくなって来て、この先そんなに長くないかもしれないことか夫の家族もわかっていた。

 

数ヶ月前にはとうとう食欲もなくなってきて、義兄夫婦はナースに「まだ食欲があるうちは大丈夫ですが、段々食欲もなくなってきたので、そろそろポスピスケアを考えられたらどうですか?」と提案されていたらしい。

 

アメリカのホスピスは、死期の近い人が苦しまずに穏やかに最後の時を迎えられるよう、痛みや苦しみの緩和ケアが中心になる。治らないとわかっている病気の治療や延命措置は基本しないし、家族もそれを望んでいない場合が多い。

 

アメリカに寝たきり老人が多くないのは、自力で食事ができなくなる、呼吸ができなくなる、家族を認識できなくなる、と言う段階になると、胃ろうや呼吸器をつけてまで延命はしない傾向があるからなんだろうかと感じた。

 

義母のホスピス関係者は、ホスピスに入ると平均半年くらいで亡くなる人が多いと言う。かなり弱っていた義母もホスピスに移動してから1週間くらいで息をひきとった。呼吸器をつけた数日後眠るように亡くなったらしい。

 

実は私の20数年前に亡くなった祖母も同じパターンで、パーキンソン病と診断されてから10年くらいかけて徐々に弱って行った。私の母は実家で一人で10年間も介護をした。父は婿養子なのと昔堅気な夫であったため、一切母を手伝う事はなかった。当時はパーキンソン病患者の介護は国の援助を受けるのが難しく、母は外部サービスに頼ることもできなかったので、10年間自宅で24時間介護を続けた。私はその時高校~大学だった。自己中なティーンエイジャーだったので、24時間介護をする母を大変だなとは思いつつも何も手伝わなかった。

 

祖母の晩年になると、動けなくなり自分で食事も排泄もできなくなったので、母がほぼつきっきりだった。胃ろうはしなかったので、流動食を食べさせるだけで1-2時間かかり、下の世話も大変だった。母はいつも疲労困憊していて、認知症の祖母からはいつも理由もなく文句を言われていて、夜も薬の副作用で幻覚を見て何度も起きる祖母に付き添って寝る時間さえなかった。私と弟達はいつも放置されていたが、それも仕方なかったんだろうと今なら思える。その時は親の介護は子供がして当然だったので、母は外部や老人ホームに頼ることなく、最後まで24時間祖母の介護をし看取った。

 

義母の場合、義父の遺産や年金で最初から老人ホームに入り、段階を経てホスピスで亡くなったが、直接介護をしたのは義父だけで、後見人として経済的に義母の面倒をみていた義兄夫婦も直接介護をすることはほとんどなかった。同じ病状で亡くなったが、祖母(25年前の日本)と義母(現在のアメリカ)の最後の状況を比べても大きく違う。アメリカは家族が子供が介護をするものと言う感覚がないので、老後は老人ホームに行ったり、自宅であれば訪問介護を頼む人が多い。

 

文化の違いもあるが、段々と弱って行って長くはないだろうと言う義母を外部サービスに任せてそれほど生活に影響されなかった義兄夫婦のやり方と、最後の最後まで外部に頼ることなく死の直前まで全部一人で身を粉にして祖母を介護した私の母。後になって母によく一人で全部介護したよねと言うと、「辛くて大変だったけど、実の母を死ぬまで自分で介護できて全く悔いはない。もし外部に任せていたら、もっと自分がしてあげればよかったと後悔していたかも」と答えた。

 

幸い私の両親はまだ健在で介護は必要ないけど、いつか必ず来るその時が来たら、遠く離れた私は何ができるのだろうかと心配している。